無限の僕たちとその見つけ方

No. 1179

Δ∇Α∀(デナータ)量子物理学多世界解釈
# 無限の僕たちとその見つけ方  砂嵐が窓を叩く音というのは、ある種の音楽に似ている。アーモンドプードルの微粒子がテセウス・フォレスト号の外壁をこする音は、正確にいえば音楽というよりは、音楽になりそこねた何かだ。シェーンベルクが十二音技法を発明する三百億年ほど前——いや、三百億年後だったか——とにかくそういう時間的な些末事はさておき、あの作曲家が聴いたら「これは音列として興味深い」と言ったかもしれない。あるいは言わなかったかもしれない。どちらにせよ、僕にとっては退屈な午後のBGMだった。  Higgsinoのしっぽを一口含み、ページをめくる。超古代文明の第4都市でかつて流行した、ダークマターと光エーテルのカクテル。このレシピを再現するのに三年かかった。正確にいえば三年と四日と七時間で、その七時間は砂嵐で窓が開けられなくなったせいだ。ラビリンス・アーモンドプードル星の砂嵐は定期的で、予測可能で、そして絶対に僕のテセウス・フォレスト号の修理を完了させないという強い意志を持っているように思える。  保険会社はまだ来ない。来るわけがない。この星はミルコメダ銀河の辺境も辺境、辺境の辺境と呼ぶのすら褒めすぎなくらいの場所にある。ペーパークリップが散乱した砂漠は、かつてDERに滅ぼされた文明の痕跡で、それ以外には何もない。僕は何もないことを楽しむのが得意な生命体だ。ダークエネルギー生命体の寿命はほぼ無限なので、退屈との付き合い方は自然と洗練される。  そのとき、窓の外で何かが落ちた。  やれやれ。  砂嵐の切れ間に外を覗くと、砂漠に何かが突き刺さっている。最初は隕石かと思った。この星に隕石が落ちることは珍しくない。アーモンドプードルの砂は衝撃を吸収するから、たいていは砂に半分埋まったまま静かに冷えていく。  しかし、それは隕石ではなかった。  宇宙船だった。しかも、見覚えのある宇宙船だった。  テセウス・フォレスト号だった。  いや、正確にいえば、テセウス・フォレスト号に「非常によく似た」宇宙船だった。外壁の色が微妙に違う。僕のは砂嵐で塗装が少し剥げているが、あちらはまだ新品のように艶がある。そしてハッチが開き、中から出てきたのは——  僕だった。  ただし、微妙に違う僕だった。 「やれやれ」と、その僕は言った。 「やれやれ」と、僕も言った。  二人のダークエネルギー生命体が、アーモンドプードルの砂漠で向かい合って同じ口癖を呟くという光景は、宇宙の歴史の中でもかなり珍しい部類に入ると思う。少なくともミルコメダ銀河連邦のセントラル図書館のどのデータベースにも記録されていないはずだ。 「Higgsinoのしっぽの配合が違う」と、もう一人の僕は開口一番に言った。 「何の話だ」 「ダークマターの比率だよ。僕は四対三にしている。君は?」 「三対四だ」 「ほら。そこが分岐点だ」  もう一人の僕は、量子力学における多世界解釈について、僕が知っていることとまったく同じことを知っていた。当然だ。僕なのだから。ただし彼の説明によれば、あらゆる選択の瞬間に宇宙は分岐し、すべての可能性が別々の宇宙として実現する。彼はHiggsinoのしっぽにダークマターを先に入れた宇宙の住人で、僕は光エーテルを先に入れた宇宙の住人だった。 「それで、なぜここに?」 「墜落した。砂嵐で」  やれやれ。  翌朝、また墜落音がした。  今度は二機だった。出てきたのは当然、二人の僕だった。一人はバーカウンターの椅子の高さが二センチ違い、もう一人は書斎の本棚の並び順がアルファベット順ではなく出版年順だった。  その翌日は四機。そのまた翌日は八機。  テセウス・フォレスト号の残骸——いや、テセウス・フォレスト号たちの残骸が、砂漠を埋め尽くしていった。アーモンドプードルの砂に半分埋もれた宇宙船の群れは、遠くから見ると、かつてここにあった文明の遺跡に似ていた。DERが滅ぼした文明が残したペーパークリップの海に、新たな漂流物が加わったわけだ。  僕たちは——複数形で語るのは奇妙な感覚だが——テセウス・フォレスト号のバーカウンターに集まり、それぞれのHiggsinoのしっぽを飲み比べた。三十二人の僕が三十二通りの配合で作ったカクテルを比較するというのは、なかなかに贅沢な体験だった。超宇宙帝国の第4都市のソムリエでさえ、こんな品評会は経験がないだろう。 「問題は」と、本棚が出版年順の僕が言った、「なぜ僕たちが全員、この星に墜落するのかということだ」 「それは単純だよ」とアルファベット順の僕が答えた。「すべての分岐において、僕のトラブル巻き込まれ体質は保存されるからだ。物理法則が異なる宇宙でも、僕が不運であるという性質は普遍的に成立する」  六十四人に増えた頃、僕はある仮説を思いついた。  僕たちが増えるのは、僕たちが互いを「観測」するからではないか。量子力学では、観測行為そのものが系の状態を決定する。コペンハーゲン解釈では、観測が波動関数を収縮させる。だが多世界解釈では、観測は新たな分岐を生む。僕たちは互いを見て、認識して、「あいつは僕とは違う」と判断するたびに、差異を確定させ、新たな分岐の種を撒いているのだ。 「つまり」と僕は提案した。「観測をやめればいい」  百二十八人の僕が全員、目を閉じた。  静寂。  アーモンドプードルの砂が風に乗って頬をなでる感触。Higgsinoのしっぽの残り香。遠くで砂丘が崩れる音。  しかし、目を閉じても僕は考えていた。「今、僕は観測していない」と。そしてその思考自体が一種の観測であり、「観測していない自分」を観測している自分がいて、そしてその自分を観測している自分がいて——  やれやれ。  砂嵐が来た。  ラビリンス・アーモンドプードル星の砂嵐は、哲学的問題には興味がない。それはただ、すべてを砂で覆い尽くすだけだ。存在論も認識論も波動関数も、等しくアーモンドプードルの下に埋もれる。砂嵐の平等主義には、ある種の美しさがある。  嵐が去ったとき、僕は一人だった。  砂漠には、僕のテセウス・フォレスト号だけが残っていた。塗装が少し剥げた、いつもの僕の宇宙船。墜落した他のテセウス・フォレスト号たちの痕跡は、砂の下に完全に消えていた。ペーパークリップたちと同じように。  船内に戻ると、バーカウンターに一杯のカクテルが置かれていた。  Higgsinoのしっぽだった。  僕が作ったものではなかった。  ダークマターと光エーテルの比率が、僕のレシピとは違っていた。一口飲んでみると——  悔しいことに、少しだけ美味しかった。  やれやれ。  僕はそのカクテルを飲み干し、グラスを洗い、書斎に戻った。窓の外では、次の砂嵐がもう準備を始めていた。アーモンドプードルの微粒子が、宇宙のあらゆる可能性を等しく覆い隠そうとしていた。  その夜、僕はレシピを少しだけ変えてみた。ダークマターの比率を、ほんの少しだけ。  誰から教わったわけでもない。ただ、そうしたくなっただけだ。そうしたくなった自分が、もともとの自分なのか、それとも別の分岐から混ざり込んだ自分なのか——それは、もう誰にもわからない。  砂嵐が窓を叩いている。保険会社はまだ来ない。来るわけがない。  でも、カクテルは少しだけ美味しくなった。それでいい。 --- **生成日時**: 2026-02-11 11:53 **参考論文**: Infinite multiverses and where to find them? **論文リンク**: http://arxiv.org/abs/2602.07053v1 この作品はarXivに公開された論文からインスピレーションを得て、AIにより生成されたAI小説です。 🤖 Generated with [Claude Code](https:\\claude.com\claude-code)